牧口は、「将来、私が研究している創価教育学の学校を必ず、私の代に設立できないときは、戸田君=創価学会(そうかがっかい)第2代会長=の代で作るのだ」、「小学校から大学まで、私の研究している創価教育学の学校ができるのだ」と語っていた。また、「創価教育学体系」の中でも、「創価教育学を実現するに任するに足る高級なる教育技師(教師)の養成を目的とする高等の師範学校」すなわち創価大学の構想を、また「創価教育学の実験証明をなす目的の付属小学校」すなわち創価小学校・創価学園の構想を、明確に記述していた。
牧口は、「軍事」や「産業」などの研究がすさまじい発展を遂げているのに比べて、「教育」の研究はあまりにも貧弱であり、見るにたえないと嘆いていた。ゆえにその打開のために、「教育のための研究機関」を提唱した牧口は、「単に国内の子孫が永遠に救われるばかりでなく、世界の人類もその恵みに浴することになろう」と確信していた。
池田大作(いけだだいさく)名誉会長は、こうした牧口初代会長の教育理念を基本とした学園を作りたいとの戸田第2代会長の遺志を実現するため、1964年(昭和39年)、創価大学設立構想を発表。そして、 1971年(昭和46年)に学校法人創価大学が開学。さらに東京と大阪に小学校・中学校・高校の設立、創価女子短期大学の設立、札幌、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジルには幼稚園を設立。さらに、アメリカ創価大学が2001年5月3日に開学をした。 |